
写真はニトリのクッションカバーで一番買って欲しそうだったやつ
「なんでDONGURILOGを始めたの?」って疑問を頂いたので、今日はそれを残しておきます。
まず、面白い。
どう面白いかと言うと、誰かの価値観に触れられる。
別に笑える面白さを求めてるわけじゃなくて、その日、その時、何があって、どう感じたかどうか。
それだけで面白い。
面白いって言い方は失礼かもしれないし、伝わらないかもしれないけど、単純に「知れる」って喜びがある。
「直接話せばいいじゃん」と思うかもしれないが、激動の毎日の中で価値観を改めて誰かと話す?
と言うより、ガチな価値観をぶつけ合うのってめっちゃ仲がいい友達か家族か恋人くらいなもんだと思うんです。
他のSNSもあるし、それを日記代わりに使っている人もいるだろうし、そもそも日記を書くツールなんざDONGURILOGだけではない。
人にはそれぞれの毎日があって、それぞれ感じる事があるし、その答えや捉え方も違う。
知ってる!
みんな知ってるやつ!
知ってるけど、感覚でしかないやつ。
「人はそれぞれ違うんだよ」
これを実際に文字にするのがDONGURILOG。
でもここだけじゃない。
SNSを本気で日記代わりに使ってる人だっている。
芸能人はアメブロメインかな?
最近じゃnoteで有料化パターンもあるか。
どのサービスを使っても「価値観を残す」ってのは一緒。
つまり書く人の問題っす。
はい。
どこで書いても構わんのです。
DONGURILOGでその絶対的な座に割って入っていこうとも思ってません。
そもそも競うもんでもない。
争ってない。
その人にどんな事があって何を思っているのかを知れるのが面白いんです。
今も芸能人を含め色んな人のブログを見てます。
どれもこれも「面白い」です。
芸能人じゃなくても面白いです。
実名だろうがニックネームだろうがコードネームだろうが「どこかの誰かが残した価値観に触れられる」って部分が面白いのです。
DONGURILOGをどうにかしようとしてるわけじゃなくて、ここに誰かの価値観が残されていくのが面白いんです。
それと、DONGURILOGではSEO対策ってのをしっかりやってます。
サーチエンジンオプティマイゼーション対策。
これ、簡単にすると、google検索に表示されるかどうかの話なんです。
例えば、今日、大好きな人と結ばれた人がDONGURILOGで日記を書いたとしましょう。
で、その日記がgoogleで「今日大好きな人と結ばれた人」と検索すると出てくるって事です。
仕事で嫌な事があった日記も、家事で疲れてしんどい日記も、吐き気がするほどポジティブな日記も、「どこか遠くに行きたい」って願いを綴った日記も、全部、検索され、その日記を求めてる人に届けられてるんです。
遠回しに今日もどこかで誰かを支えてるって事。
実名もニックネームも芸能人もモデルも俳優も作曲家も画家も医者も関係なく、等しく必要な人に必要な文章が届けられてる。
いや、これ、めっちゃ面白いでしょ。
だから書くんです。
楽しくても、辛くても、恥ずかしくても、とにかく、オラはかくど。
いつか、どっかで、誰かのサンキューになるかもしれんのだ。
あっ。
でもこれ、全部公開しろって事じゃないっす。
隠しておきたい気持ちは迷わず非公開に。
つまり、好きでやってるって話っす。
長くてすいません。
自分らしく、楽しく、時には悲しく、辛く、ポンポン!な日々を文字にする価値を伝えたくて必死こきましたが、「まだまだ言いたい事あるぜポンポン!」って人がいたらDONGURILOGの問い合わせでもいいし、TwitterやInstagramのDMでもオーケーポンポンなのでぶん投げて来てください。
極端なディスじゃなければ真面目に受け取ります。
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