
昨日、家族以外の人とごはんを食べた。
2月ぶり?
すっげーーーー息抜きになった!
行きたいところに行けない、会えない人に会えない、ってそんなにしんどいつもりなかったんだけど。
やっぱりストレス感じてたんだな。
発散って、とっってもだいじ!
さて、話は変わって。
学校で社会学を教えてくれる先生がいて、今まで出会ったことないオーラがあって、めちゃ好き。
どんな考えも受容する、それでいて自分のことをすみからすみまで分析できてる感じ。
「同性愛者の友だちが、彼女のことを彼氏として周りにナチュラルに話してるのをきいて、
こんなに自然と嘘がつけるようになるまで、社会に追い込まれていたんだってことが、すごくショックだった。最初っから平気に自然に嘘をつける人なんて、私は居ないと思ってんだよね。」
「だれかと接するときは、人は何者でもないんだと思って接してほしい。あなたたちの中で異性愛者が常識である限り、彼氏いる?とか彼女いる?の一言で、相手の心は閉ざされる。」
っていうお話。
授業中にただのエピソード話してごめんね〜って言ってたけど。
なんか、すごく響いちゃった。
正直、わたしは結婚して子どもも居るし、付き合った人もみんな男性だったけど。
恋愛対象にこだわりはない。
15歳まで人を好きになる気持ちなんて、ちっとも分からなかったし(ロバート秋山さんに関しては例外。まじ永遠にわたしの天使。笑)
人間としてステキで、付き合えたら幸せだろうな〜とおもった女性もいるし。
付き合ったからといって好きになれるタイプじゃないから、愛した人はめっっちゃめちゃ少ないし。
同性愛者の友達と、レズビアンバーにも遊びに行く。(出逢い目的ではない)
理解して!とはいわないけど、理解できなくても否定はしない世の中になってほしい。って切に願ってる。
理解できなくても否定はしない人間でありたい。って常日頃おもってる。(心でムッとすることはもちろんある。)
赤裸々な日記になってしまったが、これもまただれかに響け〜とおもってる。
大らかな世の中であれ〜〜〜〜
コメント
なんか、何周かして、自分にそれが出来るかって考えてみたけど、今ここでそれを知った事で変わっていくんだと思った。ありがとう!
知ってもらえてうれしい!ありがとう!
「カミングアウトしなきゃいけないわけじゃないし、してもらえるように振る舞わなきゃいけないわけじゃない。」とも言っていて、自然に受容するって激ムズ…とおもった。